ちびすけのパパと申します
今回は、かつての自分を反省しつつ、「イクメン」であることの危険性を述べたいと思います
以前の私は、周囲の男子より家事や育児を多く行っていることで、「イクメン」と特別視されることに気持ちよさも感じていまいした
しかし、妻の育児の過酷さの一部を経験したこと妻の育児の過酷さの一部を経験したことにより、家事や育児への考え方が変わりました
家事や育児は、やるのが特別なことではなく、「ただの生活の営み」
この記事は、家事・育児に興味があるパパだけでなく、ワンオペに悩むママにも読んでほしいです
家事・育児に対する意識改革は、きっとみなさんの役にもたつはず!
この記事の目次
- 「イクメン」の特別感は、パパのアイデンティティーにもなる
- 特別感が、男を傲慢にし、パパの器を小さくする
- 反省!器の小さな私がやらかした失敗の経験
- 育メンパパの、器が小さい思考回路
- イクメン卒業宣言!家事・育児は「ただの生活の営み」
最後まで読んでいただけたら嬉しいです!
「イクメン」の特別感は、パパのアイデンティティーにもなる
「育メン」という呼び名には、
「この人は、他の男子より家庭を大事にしてます!」
という特別感があるように思えます
我が家は、比較的妻が強めです
はっきりと物を言う性格の妻なので、優柔不断な私は学ぶことが多く
人生のパートナーとして最高の妻であると思ってます
一方で、「それは言い過ぎじゃない!?」と感じることもあり
結婚してからの数年間、子どもが生まれてからも、言い争いの喧嘩は絶えずありました
どちらかが「もう出て行く!」と言い出すほどの大きな喧嘩になったことも何度もあります
妻が強めな家庭の中で、自分を支えるアイデンティティーこそが「イクメン」でした
かつての私は、「イクメン」に肯定的だった立場から、こう考えていました
日中仕事で大変な思いをして頑張って・・・
その上、家では料理や洗濯、掃除もできて・・・
さらには子育てもいろいろやっていて、お風呂や食事の世話などなど、どんどんできるようになっていく
そんな自分こそ、妻を支えている!
家族のために頑張っているイクメンだと何の疑いなく思っていました
イクメンと呼ばれることで、自分は特別なことをして頑張っている
自分を保つための安心材料だったとも言えます
特別感が、男を傲慢にし、パパの器を小さくする
イクメンという言葉がもつ特別感は魅力的です
周りからの好評価は、さらなるやる気も生みます
以前の私も、周りからよく頑張っているパパの総称としてイクメンと呼ばれることに、気持ち良さを感じていたと思います
そんな私がハマってしまった、悪いループがこちらです
イクメンの特別感から生まれた「アイディンティティー」は、
家事や育児が熟練していくと「プライド」に変わりました
「俺は、こんなにも家族に尽くしている」「家事や育児がこんなにもできる」
でも、そんな自分に、尽くしているはずの家族からダメ出しを受けたとき、
「プライド」が傷つけられたと感じます
そして、
ショックを受けたり、家族の言葉に対して怒り覚えたりします
酷い時には、
「俺が家事や育児をやっているのに」という意識から、
家族へ傲慢な態度をとってしまったり
家族の指摘に納得できずに、
「なんでそんなこと言われなきゃいけないんだ!」と
逆切れしたりしてしまいます
家族に尽くしているはずが・・・家族との会話で感情が入り乱れ、どうしていいのか分からなくなってしまう
ということが、以前の私にはよくありました
「他の男とは違うぞ」という特別感が、私に余計なプライドをもたせ、傲慢な態度や考え方になっていったのだと思います
だから、家族からのちょっとした指摘にも敏感に反応してしまう器が小さなパパになってしまっていたのだな
と、かつての自分を省みるのです
反省!器の小さな私がやらかした失敗の経験
私が家事や育児の考え方を変えるきっかけを得る前、
以前の私は、とても器が小さい男だったと反省しています
例えば、こんなことがよくありました
平日、1人で育児をしている妻は、
土日にも早く起きる私に息子を任せて、体を休めることがあります
妻は不眠症とも闘っていることもあり、
私が休みの日のうちに体力・気力を回復させることは、必要不可欠です
ある土曜日の朝、いつものように妻や息子よりも少し早く起きた私は、
キッチンで食器の洗い物をし、ゴミ出しを行いました
また、妻が起きたら食べられるようにと、冷蔵庫にあるもので食事の用意もしました
しばらくして、息子が起きたので、寝室から連れ出し、リビングで遊ばせました
息子の朝食が済んで、おむつ替えを行ったころ
妻が起きました
妻は、「今日もあまり眠れなかった。」と言って、イライラしていました
そして、息子が散らかしたおもちゃを見た瞬間、
「もーー、パパに任せると汚なくなるから嫌だ!」
と言いました
私は、ムカッときた気持ちを押し殺して言いました
妻は、材料の賞味期限を気にしたらしく
「えー、あれ、賞味期限見た?あれを使ったなら、食べたくない。食べない!」
私は、さらにムカッときて、言われっぱなしになるものかと反撃しました
妻の逆鱗に触れ、妻の言葉が辛辣になりました
「は?何言ってんの!!本当、分かってないよね!もう、何にもしなくていいから!ご飯とか頼んでないし!!余計なことばっかりしてさ!!!自己満足なんじゃないの???押しつけないでよ!そういうの、迷惑!!!」
器の小さい私のプライドはズタズタになり、
声を荒げました
怒りが沸騰した私は、息子を抱き抱えながら、妻に怒鳴ってしまったです
しかも、そんなやりとりは、月に1・2回ある、我が家の茶飯事でした
イクメンパパの、器が小さい思考回路
当時の私が、妻に対抗するための主張の根拠は
「俺は、家事や育児を負担して、妻の負担を軽くしてやっている
妻は俺の家事や育児に、かなり助けられているはずだ
だから、そんな俺に怒りを向ける妻の言葉は、意味が分からない」
というものだったと思います
当時の私の家事や育児へ考え方が、態度や言葉に現れて
妻をイライラさせてしまったのだな
・・・と、今ならば妻の気持ちを理解できます
イクメンによる傲慢な家事や育児は、妻にとってもありがた迷惑と感じることもあったに違いありません
イクメン卒業宣言!家事・育児は「ただの生活の営み」
現在の私の家事や育児の捉えは
パパがやろうが、ママがやろうが関係ない、「ただの生活の営み」
家事や育児は、自分の家族のため、自分自身のためでもあるので、
「やってあげている」という意識は、根本からおかしい
というものです
したがって私は、イクメンを卒業します!
私は、「家族の幸せのため」に外で仕事をし、家では家事や育児をします
決して押し付けの幸せにならないように、
家事や育児を、妻や子のために「やってあげている」という意識ではいないようにします
「家族の幸せのため」とは、「自分の幸せのため」でもあります
家事や育児は、家庭生活に必要不可欠なことです
当然、自分以外の家族のためにもなるし、自分のためにも必要です
仕事も、家事も、育児も、自分たち家族のために必要だからやるのです
現在、我が家では、家事や育児は分担しなくても夫婦で自然に協力できています