妻と喧嘩しました。今回は、我が家の夫婦喧嘩をもとに、根本的な原因を探ります。そして、喧嘩前より絆を深められる仲直りの仕方についても考えます。
夫婦喧嘩にお困りの方、妻や夫と円満でありたいという方に読んでいただきたいです。
喧嘩の時、妻に言われました。
「ブログの記事、『妻に感謝している』なんて嘘ばっかりじゃん!!」
そんなことはないのです!僕は上の記事の通り、妻を尊敬しています。感謝の気持ちでいっぱいです。けど、まだまだ価値観が全てにおいて一致するわけではないのです。
喧嘩は、価値観の相違点のぶつかり合いです。
プラスに考えれば、これまで自分にはなかった新たな価値観との出会いの場でもあります。
夫婦喧嘩は、下手をすると意地を張り合って、相手への嫌悪感になることもあるでしょう。
でも、最悪の状況を迎える前に価値観をすり合わせて解決できると、夫婦喧嘩は、とても実りのある人格形成の過程へと変貌を遂げます。
この記事の目次
- トムとジェリー?
- 反面教師となった実家の家庭像
- 円満は、試行錯誤して獲得していくもの
- 鬼嫁?ダメ夫?
- 鬼嫁は、ダメ夫を指導する教官である
- 結びに山崎まさよしの曲「セロリ」を引用
トムとジェリー?
もちろん、妻への感謝と尊敬の気持ちは多分にあります。
僕と妻は、基本的に仲良しです。
感覚的な好みも理解し合えるし、互いにを尊重して、支え合ってもいます。でも、喧嘩することもかなりあります。
例えるなら、トムとジェリーのような関係でしょうか。
先日の夫婦喧嘩から3日たった今、関係は正常にもどりました。しかし、時が解決したわけではありません。
喧嘩にも原因があり、それを解決する方向に向かえているということです。
反面教師となった実家の家庭像
どうして僕は妻とこんなにも喧嘩してしまうのだろうと自問自答すると、細かいところでの価値観の不一致と、僕自信の「ダメなところ」が浮かび上がります。
それら夫婦喧嘩を生むの因子(僕の性格)を構成したのは、僕の生い立ちではないかと考察します。
僕の実家が家庭円満とは言えない関係でした。
僕の実家は、典型的な亭主関白でした。
昭和の・・・というより、大正・明治、よくて昭和初期の父親像です。戦時中が舞台のドラマとかに出てくるような、ちゃぶ台をひっくり返す父親が、僕の父でした。
怒りや焦りに感情が傾くと、ひどい暴言や暴力的な態度に現れました。
説教が始まると、3時間以上暴言を浴び続けたり、同じ話を延々と聞かされたりしました。
父親が自分の部屋に来ることは、恐怖でした。完全に時代錯誤でしたが、幼少期の自分に歯向かう力もなく、ただ父親のワンマンや恐怖政治に従うだけでした。
そして、いつのまにか、僕自身の物事への判断基準が、「父親に許してもらえるかどうか」になってしまっていました。
ならばいっそのこと、父親に判断してもらった方が早いと、選択肢の良し悪しを考慮することからも逃げるようになっていきました。
僕だけではなく、母もそうでした。
父の暴言に怯え、時にたしなめても倍返しに合い、泣いている姿も記憶しています。
やはり、母も、いつの間にか歯向かうことをあきらめ、ただ従うだけになっていました。
成人した僕は、そんな実家が嫌で何度か父に説得を試みました。
しかし父は、「俺は絶対に変わらない」と聞く耳を持ちませんでした。
実家を離れ、妻と出会い、妻の実家の両親や家族との関わりを見て、実家とのあまりの違いに衝撃を受けました。
家族がそれぞれに対する愛情を表現し、あたたかく包み込まれる感覚がありました。
家族それぞれが自分の価値観をもって主張し、同時に協力し合い支え合う姿を見ました。
妻とは生育環境の違いからか、細かいところでの価値観の不一致が多々ありました。そのため、喧嘩も多かったのかもしれません。
でも、主張をぶつけ合う度に自分の間違いに気づかされ、反省することを繰り返して今に至ります。
自分の家庭が出来て、「ちびすけ」を育てる父親となった今、思うことがあります。
父親の機嫌を伺って過ごした幼少期のトラウマや、擦り込みが「僕のダメなところ」を生み出した。
それがいつも喧嘩の種になり、続けていると実家の二の舞になりかねない。
実家の父親は反面教師として、僕は独自の幸せな家庭を目指さなければならない。
今の自分が自己分析する、「僕のダメなところ」は次の2つです。
- 心に余裕が無くなると、怒りっぽくなるところ
- 判断能力に欠け、優柔不断なところ
短気は損気です。日々気をつけなければいけません。
また、ワンマンすぎる父親に従うだけの半生を送った僕は、買い物をする時にどの店でどの商品を選ぶかさえも、自分で決めさせてはもらえませんでした。
僕はこれまで、家を出たあとの十数年間を、判断能力のリハビリテーションに費やしてきました。
決断や物事の良し悪しを自分で判断する。
失敗にめげずにトライアンドエラーを繰り返しました。(妻の応援と、妻の両親や家族というバックボーンの存在が、失敗しても立ち上がれる「僕の支え」になりました。)
そうして、何度か坐節して失っていた「自信」を取り戻してきました。
円満は、試行錯誤して獲得していくもの
夫婦生活や子どもを含めた家庭生活には、多かれ少なかれ自分の好きにはできない不自由さが伴います。
しかし、ある程度のことには目をつぶり、我慢して平和な家庭にしようとしている方も多くいることでしょう。
でも、僕は、我慢したくないのです。そして、妻や子どもにも我慢させてくないのです。
家族みんなが自分の価値観を大切にしながらも、相手も尊重して、協力し合っていける家族
それこそが、理想の幸せの家庭だと信じています。
「自分自身の理想」を実現するために性格や価値観を曲げることは、我慢ではなく努力だと考えています。
実家が円満な家庭ではなかった僕にとって、家庭円満は自然とできるものではありません。努力の末に獲得するものです。
自分が家庭を持つようになってからというもの、「円満は、試行錯誤して獲得していくもの」と感じるようになりました。
僕にとっては、夫婦円満という家族の状態ですら、自分の経験や記憶から引き出せるようなものではありません。
自分がもつ性格や価値感は、自分の経験や記憶が生み出すものであると思います。
だから、僕が夫として父親として幸せな家庭を築くためには、新しい性格や価値観をもつ自分自身に作り変えなければいけないと思うのです。
この、自分自身の作り変え作業は、簡単なものではありません。
葛藤の繰り返しです。自分の感情のやり場に困って、もがき苦しむこともあります。
僕の場合、たいていは夫婦喧嘩の勃発と収束により、この作り変えが行われてきた気がします。夫婦喧嘩のいつものパターンはこうです。
- 僕が仕事などでストレスを溜めて余裕をなくしている。
- 妻から辛辣な言葉を浴びる。
- 僕が「なんでそんなこと言うんだ」と反発する。
- 喧嘩で主張を出し合う。(妻の価値観に触れる)
- 僕は、怒りのやり場に困ってもがき苦しむ。
- 状況を改善しようと、自分の価値観を客観視して分析しようとする。
- 葛藤し、反省して、新たな価値観をもつ自分に生まれ変わる。
そんなことを繰り返して今に至るのです。
つくづく思うのは、「女性の感覚や直感は鋭い」ということです。
その女性の指摘から始まる夫婦喧嘩は、自分を作り変えるチャンスでもあります。
新たな自分に生まれ変わること、または新たな価値観を取り込むことが家庭でできる人間は外の社会でも強いと僕は考えます。
僕自身、結婚前と今とでは、まったくレベルが違う精神力が身に付き、仕事に活かせていると自負できます。
鬼嫁?ダメ夫?
お笑い番組で「鬼嫁」にスポットを当てたコーナーがあります。
しかし、芸人が震えながら紹介するエピソードを聞いても、僕はあまり共感できません。
なぜならば、そんなエピソードは我が家では日常茶飯事だからです。
僕は妻を鬼と思った事はありません。僕としては、妻と僕は対等な関係と思っています。
でも、妻からのあまりにも酷な言動、辛辣な評価が続くと、それに耐えきれれず、怒りをぶつけてしまうのです。いつもの喧嘩のパターンです。
また、飲み会などで夫婦や家族の話をすると、驚くことがあります。
「夫婦喧嘩にならない」「言い争いなんてほとんどない」という話です。
でも、詳しく聞いてみると、我が家との共通点もあります。
それは、奥さんが機嫌が悪くなるという点です。奥さんに気分の波があること。波の振れ幅が大きくて、機嫌の悪さが表面に出るのは、どの家庭も一緒なんだということです。
ということは、夫の対応次第ということでしょうか。
ある男性の先輩は、「機嫌が悪いときは、そっとしておく」と言っていました。
たしかに僕は、妻の暴言やいいかげんな態度を、まともに相手をしていました。言われた言葉をそのまま受け止めて、イライラを溜め込んでいました。
子ども同士喧嘩を見ても感じますが、喧嘩は両方に原因があります。お互いに譲れない頑固なところがあるから、喧嘩が起こるのですから。
始まった喧嘩の火は、第三者に止めてもらうか、どちらか一方が先に折れない限り、消えません。
喧嘩をしているの当事者が僕である場合、僕自身がクールダウンして謝るのが、一番の鎮火への近道です。
そして、冷静になった時、いつも思うことがあります。
それは、「妻の主張は正しい」ということです。
僕の人間性は、とても小さな器に入っています。器は時々、仕事などで抱えたストレスでキャパがいっぱいになることがあります。
追い討ちをかけるように、機嫌が悪い状態の妻からの辛辣な言葉が積み重なると、器は簡単に崩壊するのです。
僕は、感情が爆発して、妻に負けたくないと張り合ってしまいます。
これが、我が家の喧嘩のパターンでした。
鬼嫁は、ダメ夫を指導する教官である。
鬼嫁を紹介する芸人たちのオチは、だいたい妻からの反撃です。
妻からの激白により、
やれ浮気性だ、やれ金遣いが荒い、やれ稼ぎがないヒモだなど・・・。
ダメ夫ぶりが明らかになるのです。
僕の場合は、器の小ささでしょう。
我が家の妻は飴と鞭を使い分け、僕をよい夫、よいパパへと導いています。ただし・・・鞭の時には、鬼教官となります
全ての男は女性から生まれる。女性がいなくては社会はつくられない。そんな当たり前の事を僕は忘れがちです。
女性が強い家庭は安泰と言われているのは、正しいと思います。
そもそも女性をたてられる男性は、器が大きいのだと思います。
女性から感情的に言葉を投げかけれれても、それに反発せずに、受け流せるスキルも僕は獲得していかなければいけません。
妻は、生涯を連れ添うと決めた伴侶として、「僕のダメさ」を女性の感覚から指摘します。
妻は僕の指導教官です。
僕が夫として、父として未熟だから、指導が必要な時があるのです。(時に鬼教官にもなりますが・・・。)
結びに、山崎まさよしの曲「セロリ」を引用
この記事を書きながら、ふと頭に浮かんだのが「セロリ」でした。
歌詞を調べてみると、僕の気持ちにかなり近かったです。
育ってきた環境が違うから好き嫌いは否めない
・・・・
ましてや男と女だから、すれ違いはしょうがない
妥協してみたり多くを求めたりなっちゃうね
・・・・
もともと何処吹く他人だから価値観は否めない
・・・・
性格曲げてまで気持ちおさえてまでつきあうことないけど
1人じゃ持ちきれない素敵な時間にできるだけ一緒にいたいのさ
がんばってみるよ やれるだけ
がんばってみてよ 少しだけ
なんだかんだ言っても、つまりは単純に君のこと好きなのさ
中学生くらいの時によく聞いていたこの曲が、今になって心にしみます。
歌の力のスゴさも実感できたところで!ではまた!